S・I・ヴィトキェヴィッチ作「狂人と尼僧」を観劇してきた〜

ポーランドイベント

 着物とポーランド愛伝道師のポラ子です。

今日は芝居を見てきました。もちろんポーランドにちなんでいますよ。

私は深い思索や分析ができる訳でもないし、演劇に詳しい訳でもないです。

けれども、だからこそ感じることもあろうかと思い、書いてみます。

 

その前に、あらすじをポーランド広報文化センターのサイトから引用してみます。

精神病院《死兎館》の小さな隔離病室。かつて人気詩人だったヴァルプルクは、2年以上ここに収容されている。彼にとって病室は地獄そのもの。この苦しみから早く逃れたい。さもなくば死を! そこへ、病人に安らぎを与えるべく、修道院《自発的女性殉教者修道会》の若きシスター・アンナが訪れる。そして事件が……。

20世紀の思想に大きな影響を与えた、フロイトの精神医学を巡る医師たちの、野心蠢く隔離病室から、果たしてヴァルプルクとアンナは脱出できるのか!?

1924年に初演された問題作。時代と国境を越えて今甦る、ポーランドの鬼才・ヴィトカツィの奇想天外ファンタスティック密室劇!

まずは、感じたことを。
感じたことなので、これといった結論は無いですし、まとまっていません。

注:ネタバレ含みます!!

 

狂うって何だろう

まず狂うって何だろうって思わずにはいられませんでした。

検索してみると、

  1. 精神が乱れ、正常な考え方ができなくなる。
  2. 度を越して夢中になる。また、夢中で激しく動く。

とあります。

 

アンナの取った行動は、聖職者としては狂っているのでしょうが、彼女が幸せになれたのだとしたら、以前の自分の方が狂っていたとも言える訳です。

また詩人であるヴァルプルクの犯した罪は、現代の精神鑑定などにも通じ、どこから正常でどこまで責任能力が無いのか、などのテーマもはらみます。
(劇中ではすんなり進んでいくのが驚きでした!ま、後のお楽しみに繋がりますが)

狂っていると見なされる人からすれば、狂っていないと思っている人達こそ狂っているように見えるでしょうし。

 

人は何かを信じて生きています。自分の信じる価値観で行動しています。そう、劇中のシスター・バルバラのように。自分こそが正しく、そこから逸脱する人は狂っていると思うように。

また、相反する価値観の人に「狂っている」というレッテルを貼ることで心のバランスを取るのだと思います。

その自分を明け渡さないための、度を超した必死さだって見方によっては狂っているとは言えないだろうか。

狂うって何だろう。狂ったほうが幸せなこともあるかもしれないし。

そんなことを感じ、ぼんやり考えてても、芝居は進むので、もう頭が一杯一杯でした。

 

アフタートーク
8/23(金)に予約したのは、関口先生のアフタートークを拝聴したかったからです。
メモしたので(もう自分の字だがよく読めない!)、思い出しながら一部を紹介します。
聞き手は演出を担当された赤井康弘さん。
またアンナを演じた赤松由美さんも加わります。
まずは三人の関係性や出会い、この芝居をやることになった経緯などをお話されました。
これまでも学生が演じたものはあるようですが、関口先生の翻訳で舞台化は初だそうです(5年前に未知谷から刊行)。
まずは関口先生の感想や言葉から興味深かったことを。
  • 戯曲にはない肉がつくのが演劇の力だ。
  • この戯曲はポーランド語の論理性がよく出ている(メモには論理性で止まってるので文末の表現はポラ子が補完しているのでこうだったかどうか?)

「ポーランド語の論理性」これを受けて演出の赤井さんは、

  • 解釈にブレはない。
  • その点、ある意味稽古は楽。

と仰ってました。

一度見ただけのこちらとしては、まだまだそこを感じることは出来ませんでした〜。

赤松さんからは「のののしる言葉のバリエーションが豊富」との指摘というか感想がありました。

それを受けて関口先生は、日本語は悪口や、ののしる言葉が貧しい。歌舞伎のようにすると古くさくなる。

と仰ってました。翻訳するにあたりご苦労されたんでしょうね。

また当時と現代では、切羽詰まった精神分析の確執と乖離していることを指摘されていました。

フロイトはユダヤ系オーストリア人で、無意識は神の領域ではないと言った、当時の衝撃をお話されました。

初舞台はトルンで、その時に「尼僧」という言葉を自己検閲で「看護婦(師)」に変えたそうです。(※女性であることを表現するため、あえて看護婦としています)

確かに劇中でもヴァルプルクを巡って医師が意見を戦わせ、自分の論を主張します。

当時はこうだったんだな、とは思いながら見てましたが、関口先生のお話で自分の想像よりもはるかに激しい衝撃が当時はあったのだと認識することが出来ました。

確かにこういう前提が理解できないと感じ方が変わってきますね。

 

赤井さんは演出の意図をお話されました。

部屋に一人ずつ入ってくるのではなく、一度に全員を見せたかったそうです。

だからあのボックスのような設定になっているんですね。

密室の病室が舞台でも、みんな存在していることを伝えたかったようです。

また赤井さんの「芝居は文学の奴隷であってはならない」という言葉も印象的でした。

 

少し記憶が薄れてきてますし、メモも雑であまりアフタートークの有意義な時間を表現できていませんが、少しでも自分の記録になればと書きました。

ガハハと笑う面白さではなく、思索のきっかけになる「興味深い」という意味の面白さがあります。本当にずっと考えたくなります。

 

もし再演されることがあれば見ていただきたいです。

 

最後に、役名と役者さんを書いておきます。

ヴァルプルク:山本啓介
シスター・アンナ:赤松由美
シスター・バルバラ:葉月結子
グリン:気田睦
ブルディギエル:竹岡直紀
アルフレット:本間隆斗
パフヌーツィ:阿目虎南
ヴァルドルフ:田村義明

コメント