ポーランド愛伝道師のポラ子です。
ワードプレス開設以前は、アメブロに書いていました。そのアメブロに「人形」を買って来た時の興奮を書きました。
その時に書いた記事はコチラ
体重:1.4kg胸板の厚み:59mm
1212ページに〈完〉の文字がありました。
プルスさんがいろいろ階級や民族的な事、何訛なのかを書き分けていことが注釈からうかがえました。
【当時の作家は今で言うGooglemapの役割を担っていた】の見出しで、プルスはパリに行っていないのに描写が素晴らしいという話を書きました。その予備知識を入れて読んだら、これでパリに行っていないのか?と本当に驚きました。
主人公のスタニスワフ・ヴォクルスキがパリを歩き回るシーンがあるのですが、実際に歩かずにどうやって書いたのか不思議です。世界を描写するとはこのことか、と納得しました。
また、19世紀の教養人には英語は必要になってきた、とトークショーで聞いていたのですが、これが小説ではとっても重要なキーになってきます。あの時は想像もつかなかったところで、これが効いてきます。
他にポラ子的に気になったところ、面白いところ、興味深い箇所は
- イザベラ・ウェンツカ嬢が商人ボクルスキを全く相手にしないところ、サロンへの出入りなど歴然とした階級差。
- 決闘のシーン(決闘の作法というか、ルールなど)
- 階級の違いやユダヤ人など当時のポーランド社会の様子
- ボクルスキの涙ぐましい努力(イザベラを喜ばそうと彼女が入れあげている役者のために花を贈るなど)
- ヴォクルスキと老店主との関係
- ロマン主義
主人公ヴォクルスキが貴族のウェンツカ嬢に惚れてまうわけですが、まったくウェンツカ嬢は彼を結婚相手とは見做さない訳です。当時はそれが常識であり、階級差を守ることが社会秩序を保つことにもなっていたでしょうから、ウェンツカ嬢がどうのこうのではなく、あーそういう時代なんだな、と。
読むこちらも関口先生のタイムマシンに載って当時のワルシャワへ行くわけですが、その時代にいってヴォクルスキを見ると本当にけなげなんです。当時を生きる彼が、誰よりも実現が難しいことを知っているはずなのに、ウェンツカ嬢のためにあれやこれやするのです。
ウェンツカ嬢が入れあげている役者への花代もプレゼント代も持つのです。ウェンツカ嬢が喜ぶなら、とその一心です。
うーーー、ボクルスキ〜。切ない。
純情は端から見たら滑稽と紙一重。さんざん周りの人の噂にもなります。でも彼はお金を稼ぐだけ稼いでしまい、自分の人生に虚しさを抱えているわけです。
その虚しさを彼女との結婚で埋めたいのか、追いかけることで空虚な時間を埋めたいのかはわかりません。彼女と一緒になり、新たな人生を得たいのかもしれません。
読んでいて、これほどピエロのようでさえあるのに、脈もまったくないのに、どうしてこんなに真っすぐ好きでいられるのだろう、と思ってしまいました。ま、恋に理由はないですから考えるだけ野暮ですけど。
相手を全然知らないのに妄想で恋する中学生みたいにすら感じられました。
こんなに男性って純情なの?との驚きが。
でも報われない。
そういう図式って現代でも落語の世界でもありますね。
その普遍的な面白さ・滑稽さと、当時の階級差など、その時代ならではの社会のうごめきが絡まることで、ますます引き込まれていきました。毎晩寝る前に「ヴォクルスキ〜、この後はどうなるの?」と喜々として読みました。
これだけ相手にされないので、彼は見目麗しくないのかと思ったら、後半にいい男だと書いてあるんですね。お金があってイケメンだったとは。
真ん中あたりまではこんな感じだったかと。
ここからがまたボクルスキの面白いところです。これは読んでのお楽しみ!!
ポーランドは全体的に見てユダヤ人に寛容な国(当時は亡国)ですが、やはりその時その時でいろいろある訳で、そういう民族、階級、資本家、貴族、没落貴族などの様相が描かれているのが醍醐味なのかな、と思いました。
間があいてしまった時があったことや、登場人物が複数の愛称でよばれることがあり、時に一瞬わからなくなることがありました。一度読んだだけではこの本の面白さを充分に理解できない気がしました。
なので、いずれはまた読み直したいと思います。
今やポーランド文学のセンターに踊り出そうなPrusさんの「人形」。一人でも多くの方が読者になりますように。
興味の有る方はぜひコチラをクリック〜!
真面目な感想や書評は以下をご参照ください。
読書メーター(読了した人の感想)
TBSラジオ(36分頃より人形について話しています。こちらはあまりの厚さと重みに鈍器と言ってて面白いですが、訳の良さについてもしかりと語られています)
コメント