この「人形」を関口時正先生が翻訳され、日本翻訳大賞を受賞されました。聞き手は柴田元幸先生。

まずは翻訳大賞の選考基準について
訳すときに透明な訳文を意識したか?
と柴田先生からの質問に対して
訳すにあたり、二つのタイムマシンに乗るように心がけた。一つは1870年〜1880年代のワルシャワへ戻るタイムマシン。もう一つは、一家に一つは世界文学全集があったような50年前くらいの日本へ戻るためのもの。本来ならそこに入るべき本が、当時は訳す人がいなかった。だから、その頃に訳されていたらきっとこうだろう、ということも意識した。
注釈の数について
テキストの背景にいけない物につけている。現代で言えばGoogleで調べてもわからないものにつけるようにした。またいいタイムマシンを提供することを考えた。
例えば「手をさしのべる」という言葉が出てくるが、それは「求婚する」という意味がある。そういったものにはつけた。
ということです。厚い本なので注釈は巻末にまとめてではなく、その都度書かれています。読み進め易いし本への負担も軽減されています。
当時の作家は今で言うGooglemapの役割を担っていた
ワルシャワは当時4階建てくらいまでの建物だったのが、パリの6階建てのビルの谷間にいないと書けないような描写があり、本当に素晴らしい。当時の作家は今でいうGooglemapのグーグルカーのような役割を担っていたし、小説が世界を描写するんだという気概があった。
またプルスは批評の目を持っている。その点も森鴎外や漱石に似ている。プルスは自然科学の素養があったこともありそれが可能だったのだろう。
それから当時の貴族はフランス語は出来て当たり前で、19世紀のポーランドでも教養人には英語が必要となってきていたのだそうです。
「人形」はポーランド文学のセンター?
ポーランド文学の中でこの「人形」は中心になりつつある、という興味深いお話がありました!
19世紀「人形」が出版された頃に、ポーランド文学のセンターにいたのはヘンリク・シェンキェヴィッチであろうと。
ここまでで読んでみたくなった方はこちらからどうぞ。
余談ですが、シェンキェヴィッチとプルスとの二人に触れているサイトがありました(コチラ)。※日本語訳にしてご覧ください。
そこには
“シェンキェヴィチの作品は、三国分割の時代にポーランドの民族意識を維持するのに重要な役割を果たしたと言われている”
とあり、プルスの人形については
“語り口や地理的描写の両方で正確を期している”
とあります。興味のある方はご一読を(長大な歴史的叙事詩が好きなあなたへのおすすめは…という見出し以降にあり)。
シェンキェヴィッチは1905年にノーベル文学賞を受賞していて、ポーランドを舞台とした歴史小説を書いています。日本でいう司馬遼太郎みたいな存在のようです。映画化もされてます。「クオ・ヴァディス(Quo Vadis)」が世界的に有名みたいです。
ポーランドでは小説よりも詩
ちなみに、ポーランドは検閲があった時代があるからか、小説よりも詩が強いんだそうです。強い=人気、という意味か、強い=権威がある、強い=名作が多い、なのかの解釈はどうだったか忘れてしまいました。
ですが、ロシアに統治されていた時は「ペンで戦う」という意識があったからか、戦う詩人として、かつて文学界では詩が小説よりも格上だったようです。という事は
強い=権威、文学性 でしょうか?
検閲を考えれば、詩が発達したもの頷けます。人形の中にも、検閲ではこう書かれていて後にこうなったとの表記もあり、とても興味深いです。
余談ですが、ポーランドのノーベル文学賞受賞者を記載しておきます。
- ヴウァディスワフ・レイモント(Władysław Reymont)
作家 1924年受賞 - チェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz)
詩人、作家 1980年受賞 - ヴィスワヴァ・シンボルスカ (Wisława Szymborska)
詩人 1996年受賞
ジョゼフ・コンラッドについて
その他にもポーランド系アメリカ人などの作家の名前がたくさん出たものの、ポラ子の知識ではそれを書き留められませんでした(書いたけど検索しても出てこない)。
わかったのがコンラッドについてです。
コンラッドの「ハートオブダークネス」はぞっとする美しさがあるとお話されてました。ラテン語系の長い言葉と、船員言葉の対比の面白さがあるようです。邦題は「闇の奥」。
永遠に原文のぞっとする美しさは理解できないのだなー、と思うと関口先生や選考委員の柴田先生の頭脳の素晴らしさは翻訳界、文学界の財産なのだなー、と思いました。
トークショー後にサインをいただきました。
貴重なお話をありがとうございます。
【参照したサイト】
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