ポーランド 映画祭2020 生誕100年記念〜ヨハネ・パウロ2世 あなたを探し続けて〜

ポーランド映画

着物とポーランド愛伝道師のポラ子です。

毎年恒例のイベント「ポーランド映画祭」に行ってきました。

さらって書いてますけど、こう書けるのが嬉しい!

開催してくださってありがとうございます。

 

本当は土曜日は1日居たかったのだけど。。。

会場はいつもの恵比寿の東京都写真美術館ホールです。

 

本日はこれを観てきました。

顔と名前が一致し、記憶しているローマ教皇は、私は生誕100だけです。

東洋の端の島国の小学生の記憶にも残るほどの人だった理由が知りたいと思いました。

他には時間と、ドキュメンタリー映画の勉強のためです。

以下、記憶で書いてますのでディテールは間違っているかもしれませんのでご了承くださいね。

冒頭で印象に残ったシーン

「子供の頃はベランダになど出なかったのに、今はこのざまだ」

と窓から駆けつけた群衆に向かって言うのです。ユーモアのセンスがあった方なんですね。

また、就任(この表現でいいのか分かりませんが)すぐのお話でも

上手く話せないかもしれない。

イタリア語が間違っていたら直して欲しい。

と言われます。これに対して別の方(女性ですが肩書きまで記憶できてません)が回想して言うには「これでイタリア人の心を掴んだ」とのこと。

教皇の謙虚な態度や人柄の魅力が伝わるエピソードですね。

ポーランド民主化への影響

教皇がポーランド人の尊厳を取り戻したのかもしれないと感じました。

カトリック教徒の多いポーランドから初のローマ教皇が選出されたと言う事は、どれだけポーランドの人々にとって自信や勇気になったでしょう。それにより1980年代の民主化の機運が高まったのだと理解できました。

あまりに影響力があるため、暗殺未遂にもあってます。

字幕もナレーションもありませんが、なんとその暗殺者と抱き合うシーンも描かれていました。

『ムーンライティング』と言うイエジー・スコリモフスキ監督の映画を観ていたので、戒厳令前後の雰囲気はイメージできました。イギリスへ出稼ぎに行っている労働者の話なのでポーランド国内の様子ではありませんが。

ユーモアの一端を紹介

ある時(ミサでしょうか?)多くの人の前で話始める前に

大きなくしゃみをされます。これに

Przepraszam(ごめんなさい)

くしゃみにも宗教的意味があればいいのに

と仰るのです。会場は笑いに包まれます。

空飛ぶ教皇

映画では飛行機の中で記者に囲まれるシーンがあります。
記者の質問にずっと答えていたそうです。しかもその記者の言語で

映画ではメキシコ、フィリピン、アフリカを訪れた様子が描かれます。

地平線と感じるほど遠くまで人が埋め尽くしています。

 

人々に求められる、その圧倒的な存在に胸がいっぱいになりました。

 

フィリピンでは400万人が集まったそうです。

アフリカでは「アフリカの父(Ojca Afryki)」と呼ばれたそう。

 

パレードの映像を見ていても、沿道を埋め尽くす人々の“一目そのお姿を”と言うその思いが伝わってきて、こみ上げるものがありました。

人々の心の支柱になると言う事

世界中のカトリック教徒の支柱になるとはどんなお気持ちなのでしょう。

 

印象的だったのは、ダライ・ラマ14世が悩んだ(どのような字幕だったか不確かです)時には「教皇がいる」と思ったそうです。

 

ある場面でこんな回想をしている人がいました。

行事などの主催者は、その日の行程を考えヤキモキし苛々し始めるが教皇は祈りたいだけ祈っていた」と。

これだけの重責を背負う方は他に相談出来る方も限られる(いたのだろうか?)でしょうし、なんとなく神と対話する時間が必要なのかもしれない、と想像しました。

「神と対話していた。うんうんと、うなづくように」

と回想される方もいました。

 

教皇という立場を当事者として理解できる方はいませんものね。

 

世界の宗教のトップを招いたり、シナゴーグに行かれたりしています。

世界の宗教の指導者を招くのは、自分の成果を誇りたいだけの人であれば、まず実現しないはずです。

さまざまな宗教の指導者が横一列に並ぶ姿にはこんな事あったのだ!という驚きと今ではそうそう起きそうにないだけに、こみ上げるものがありました。

責務だけで出来ることをはるかに凌駕した教皇の圧倒的な愛と、他者への尊敬の念。

あーー、あなたという方は!!!

 

教会のあり方についての謝罪もあったようです。

中途半端な人が謝れば何を謝る必要があるのか!と批判の対象になるだろうところ、この教皇だから人の心を溶かすのだと思いました。

 

権威を傘にきるのではなく、教皇だからこそ出来る融和へ模索をされていたのだと感じました。

 

レーガン大統領と歩いているシーン、マンデラ大統領との写真なども写し出されます。

時に政治的だと言われもしたようですが、人々に愛され、影響力を持ってしまったが故でもあるのでしょう。

ラストに近いところで

「苦しみとは、神の愛を知ることによってわかる」

というようなセリフ(記憶が曖昧ですが)がありました。

 

最近、これは私自身が感じていた事でした。

私は宗教に対して時別な態度を持ちません。

ですが、一般的に言う“悪い事が起きる時”というのは「そちらに行ってはいけない」というアドバイスと思うようになりました。人生の軌道修正のためであると。

だから、苦しみや悲しみも何かを学び人生をよりよくするためにある=神の愛なのかな?と理解しました。

教皇の笑顔

最後の方のシーンで教皇のアップが映ります。

少しいたずらっ子のようにも見えました。

温かく、人を惹きつけずにはいられないその笑顔。

子供に慕われたその笑顔。

映画はご紹介できないけれど、動画があったので良かったらご覧ください。

 

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