「ピウスツキ・ブロニスワフ」を観にポーランド映画祭へ 〜3回目〜

ポーランド映画

ポーランド愛伝道師のポラ子です。

昨日もトークイベント付きの上映が10:30からありました。

朝目覚ましが鳴ったときは、あと10分…と心が揺れましたけど、来年は上映されるか分からないし,ましてや監督が来日するチャンスがあるかわからないのに、それでいいのか?と自問しなんとか支度しました(午後からパーティーのため今日は絹の着物で。今のところ全て着物で参加してます)

 

 

まずは「ピウスツキ・ブロニスワフ」上映。そしてトークショー。
まずは、どのように映画の素材となるものを集めていったのかのお話から。

ヴァルデマル・チェホフスキ監督は、約12年前にポーランドの新聞記事でブロニスワフ・ピウスツキのことを知ったそうです。その頃はポーランドでもあまり知られていない存在だったそう。

 

監督の奥様〔pani(敬称のこと)ヤドヴィガ・ロドヴィッチ〕が駐日ポーランド大使として2009年から赴任した折り、日本での資料や映画の素材となるものを集め得られたそうです。井上紘一教授(ピウスツキ研究の第一人者)などにも会いに行かれたそうです。

ピウスツキはロシア語をアイヌの人々に教えたようですが、ロシア語とアイヌ語の辞書を作っています。その収められている数は、なんと1万語だそうです。

 

彼は最終的に何カ国を理解したのか?という質問がありました。

彼は母国語のポーランド語、フランス語やドイツ語、ロシア語、英語、などヨーロッパの言語はおそらく6〜7ヶ国語くらい操り、その他にアイヌ語、ウィルタ語、ニクフ語などを入れ、ざっと10カ国近くは理解したのではないか?とのお答えでした。

私、恥ずかしながらウィルタ、ニクフを初めて知りました。

 

流刑された時が法学部2年生、その彼がアイヌ民族の文化を記録したことにとても興味を覚えました。今後も勉強したいと思います。

彼に興味を持ったきっかけは一冊の本「世界はこれほど日本が好き」です。

きっかけの本

ちなみに、彼は123年間地図から消えていたポーランドが独立を回復した時の立役者であり、初代国家元首ユゼフ・ピウスツキのお兄さんです。

これであなたもポーランド通!

 

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